災害の記憶を後世に継承するために、まちにどんなかたちが必要だろうか。記念碑のように寄る辺なき存在でなく、日常の暮らしに寄り添い、再生のための契機となるようなデザインは可能だろうか。
MEMORYSCAPEは真備町の豪雨災害の痕跡と場所の記憶を線形の要素によってつなぎ合わせ、コミュニティ再生を目指すための試案である。
居住エリアである箭田地区と有井・川辺地区の間に広がる田園ゾーン(現状市街化調整区域)に復興記念公園の整備を提案。現状東西に分断している居住エリアを結び合わせる役割を担わせつつ、地産地消マルシェやイベントを通して都市生活者と農業従事者が出会い、交流する場として機能することを意図する。
東西交通の主要軸である宍粟真備線(旧山陽道)の舗道を一部拡張整備。浸水時水位を記録する街路灯(MEMORYTRACE)を設置。また現状かさ上げ工事中の末政川堤防に親水型遊歩道を整備し、小田川と明治期の水害の慰霊碑(溺死群霊之墓)を結ぶ。この交差する2つの軸と公園をまちの骨格としてとらえ、復興の起点とする。
MEMORYTRACEはオフグリッド型の街路灯として整備。夏季となる復興記念イベント時、スクリーンを設置することで線形の軒下空間と日陰を生みだす。
記念碑という「かたち」でなく、町民たちが場所とにぎわいを生みだすという「行為」によって、被災の記憶を未来に伝えていく。
復興記念公園(MEMORYFOREST)は宍粟真備線に沿った東西に長い線形の緑地とし、造成には治水対策として実施中の高梁川河道掘削の残土利用を検討する。
MEMORYTRACEとプレイグランドに囲われた広場として、公園だけで完結しない舗道と一体となった特徴的なパブリックスペースとなる。